2011年2月19日土曜日

小早川秀秋の出陣

 小早川秀秋の部隊が松尾山城から軍資金や兵糧を
運び出す4時間がたっても勝敗はつかず、徳川秀忠も
到着しない。

 徳川家康は、このままでは劣勢になると考え、陣の
移動を行い、街道沿いに布陣した。

 家康にしてみれば、この合戦で勝たなくても秀忠と合
流して、再度合戦をするという余裕がある。

 それでは小早川秀秋は、せっかく松尾山城を無血で
奪って手柄を上げたのに、それがふいになる。また、
家康が撤退すると西軍の総攻撃を受けることになる。

 そこで松尾山を降りることにした。


 映画やドラマなどでは、小早川部隊が松尾山を駆け
降り、西軍を奇襲攻撃をするようなシーンになっている
が、松尾山のふもとでは、西軍の大谷吉継が小早川秀
秋が攻撃してくることを警戒している。だから急いで降
りる必要はない。



 ゆっくりと松尾山を降り、部隊の隊列を整えたと考え
られる。


 小早川秀秋を警戒していた大谷吉継は、秀秋のこと
を子供の頃から知っていて、歳の離れた弟のように思っ
ていた。
 秀秋にしても兄のように慕っていた吉継と闘うことは
不本意だったろう。
 秀秋の裏切りと非難する前に徳川家康の対応のま
ずさを非難するべきだ。