2011年1月29日土曜日

小早川秀秋の無血入城

 西軍・伊藤盛正の少数部隊が布陣した松尾山城は、ほ
とんど無防備の状態だったと考えられる。それほど西軍
に味方する大名は少なかった。

 だからこそ病気を理由に出陣していなかった小早川秀
秋の部隊、兵15000人がやって来た時は、心強い援軍
が来たと思っただろう。


 秀秋は、もとは豊臣秀吉の養子で、西軍の伏見城攻め
にも加わっている。

 城攻めというのは時間がかかり、将兵に多大な損害が
でる。
 最初から東軍に味方するためにやって来た小早川秀秋
は、伊藤盛正に勘違いをさせておくことが、無用な闘い
を避け、南宮山の毛利部隊を孤立させて西軍に寝返れな
くし、この戦の勝敗を決定づけることにもなる。

 伊藤盛正は、相手が大部隊でもあり、抵抗することもで
きず、あっさりと城をあけわたした。



 兵法を知らない人には、まったく理解できないだろうが、
西軍に味方すれば、豊臣家を守ることになると単純に考
えるのは間違いだ。

 戦に勝つほうに味方し、存在感を示すことが重要で、そ
の目的を達成しない戦は、ただの人殺しにすぎない。

 小早川秀秋が松尾山城に無血入城したことで、東軍に
味方することは分かったはずで、東軍の勝利は確実なも
のになった。