となり、物足りなさを感じるが、試しにパーティクルを使って
みると、意外と面白いものができた。
下の画像では大砲の弾のように見えるが、これは火箭の
閃光と爆発を表現したものだ。
関ヶ原の合戦では、大砲が準備されていたといわれている
が、当時の天候は暴風雨で、その後、濃霧になる。戦闘の
終盤では晴れたかもしれないが、大砲の威力はそれほど発
揮できなかっただろう。
ところが大砲よりも強力な武器を準備していた可能性があ
る。
西軍の多くの武将が朝鮮出兵に参加し、明・朝鮮連合軍の
利用した火箭という、現在のロケット弾のような武器で攻撃さ
れた経験をしている。
日本は朝鮮から陶器や鋳造の技術者などを拉致してきた
ことが知られているが、火箭などの武器を作れる技術者こそ
もっとも重要な人材だったはずで、拉致してきた可能性は高
い。
その証拠に関ヶ原に近い地域では、現在でも「龍勢(流星)
祭り」として自家製ロケットを打ち上げる祭りが行われている。
これが火箭を平和利用したものだ。
関ヶ原の合戦でも、石田三成が、毛利軍や小早川軍に出
撃を促すために、火箭を狼煙がわりに利用したといわれて
いる。ただ、生死がかかっている合戦で最強の武器を狼煙
がわりにするだろうか?
島津軍は、石田三成と意見対立があり、出撃しようとしな
かったとされているが、火箭を発射させていたとすれば、出
撃する必要はない。
毛利軍、小早川軍が出撃せず、劣勢だったはずの西軍が
こう着状態までもちこんだのは、この火箭の効果があったと
思われる。
こうした今までの通説の間違いを正すためにもムープロの
ようなソフトが必要だと思う。
が、当時の天候は暴風雨で、その後、濃霧になる。戦闘の
終盤では晴れたかもしれないが、大砲の威力はそれほど発
揮できなかっただろう。
ところが大砲よりも強力な武器を準備していた可能性があ
る。
西軍の多くの武将が朝鮮出兵に参加し、明・朝鮮連合軍の
利用した火箭という、現在のロケット弾のような武器で攻撃さ
れた経験をしている。
日本は朝鮮から陶器や鋳造の技術者などを拉致してきた
ことが知られているが、火箭などの武器を作れる技術者こそ
もっとも重要な人材だったはずで、拉致してきた可能性は高
い。
その証拠に関ヶ原に近い地域では、現在でも「龍勢(流星)
祭り」として自家製ロケットを打ち上げる祭りが行われている。
これが火箭を平和利用したものだ。
関ヶ原の合戦でも、石田三成が、毛利軍や小早川軍に出
撃を促すために、火箭を狼煙がわりに利用したといわれて
いる。ただ、生死がかかっている合戦で最強の武器を狼煙
がわりにするだろうか?
島津軍は、石田三成と意見対立があり、出撃しようとしな
かったとされているが、火箭を発射させていたとすれば、出
撃する必要はない。
毛利軍、小早川軍が出撃せず、劣勢だったはずの西軍が
こう着状態までもちこんだのは、この火箭の効果があったと
思われる。
こうした今までの通説の間違いを正すためにもムープロの
ようなソフトが必要だと思う。