小早川秀秋の部隊が松尾山城から軍資金や兵糧を
運び出す4時間がたっても勝敗はつかず、徳川秀忠も
到着しない。
徳川家康は、このままでは劣勢になると考え、陣の
移動を行い、街道沿いに布陣した。
家康にしてみれば、この合戦で勝たなくても秀忠と合
流して、再度合戦をするという余裕がある。
それでは小早川秀秋は、せっかく松尾山城を無血で
奪って手柄を上げたのに、それがふいになる。また、
家康が撤退すると西軍の総攻撃を受けることになる。
そこで松尾山を降りることにした。
映画やドラマなどでは、小早川部隊が松尾山を駆け
降り、西軍を奇襲攻撃をするようなシーンになっている
が、松尾山のふもとでは、西軍の大谷吉継が小早川秀
秋が攻撃してくることを警戒している。だから急いで降
りる必要はない。
ゆっくりと松尾山を降り、部隊の隊列を整えたと考え
られる。